先日、ある方からこの言葉をいただきました。
今の私の心境をこれほどまでに見事に射抜いた言葉はありません。
世間一般では「狭い世界に閉じこもっている」という揶揄に使われる言葉ですが、私はこの後半部分に、一人の人間としての、そして表現者としての救いを感じています。
【 「知り合いだから」という甘えの地獄】
おかげさまで仕事は順調で、集客も以前の1.5倍を超えています。
しかし、規模が大きくなるにつれ、私の中に拭いきれない「違和感」が積み重なってきました。
私の基準は、常に「全国で通用するかどうか」にあります。
特に、相手が「知り合い」である場合、私は誰よりも丁寧に、一分の隙もなく仕事を完遂したいと考えます。「知り合いだから許される」のではなく、**「知り合いだからこそ、絶対に失敗は許されない」**。それが私の考える誠実さであり、人間らしさです。
一方で、周囲を見渡せば、その基準に届かない現実があります。
井戸の壁に守られ、波風の立たない「安定」という名の停滞に甘んじる姿。
私が見つめている「空の青さ(本質)」を共有できないもどかしさが、日々、私の中に澱(おり)のように溜まっていきます。
【ダムが干上がるまで】
私は、一度決めたことは最後までやり抜く性分です。
ダムの水が最後の一滴まで干上がるまで、誰に理解されずとも、一人で抱え、足掻き、最善を尽くします。それは責任感というよりも、自分自身の「リズム」を汚したくないという意地に近いかもしれません。
ですが、同時に私は、**「心中するつもりはない」**人間でもあります。
「やれるだけのことは、すべてやった」
自分自身に対してそう確信した瞬間、私はすべてを捨てて、次の景色を見に飛び立つでしょう。それがどれほど急な決断に見えたとしても、私の中では数年をかけて積み上げてきた必然の結論なのです。
【私が守りたいもの】
今の場所を大きくすることに、どれほどの意味があるのか。
皆が望む「安定」のために、自分の翼を畳み続けることが正解なのか。
今の私は、その答えを「次」の世界に求めています。
誰の意見も聞かず、自分の力だけでどこまで高く飛べるのか。この井戸の底で見つめ続けた「青さ」を、もっと広い場所で証明したい。その衝動を抑えることは、もう限界に近いのかもしれません。
私は、これからも自分のリズムを崩さず、徹底的に「個」としての質を追い求めます。
このブログを読んでくださっている皆様に、何かを約束する言葉は持っていません。
ただ、私は私の「青さ」に嘘をつかずに生きていたい。
その生き方の果てに、また新しい空が見えることを確信しております